どんな人にもルーツはあります。沢山の思い出が詰まった過去があります。
友達がいます。懐かしい味があります。そしてそこには懐かしい味を作った人
がいます。
行ってきました。福山雅治・ルーツを知る旅〜
長崎空港からレンタカーを借り向かった先はみかん畑のおばあちゃんの所。
そこに行く途中の道。福山さんがぽつり、話していました。
「ここの桜、ひっそりとしていて好きなんだよなぁ」。
奥には海が広がりその湾沿いに走る一本の電車のレール。そのレールの
脇にただ、ひっそりと咲く桜並木。そしてそこを縫うように走る名もない道。
福山さんが学生だった時、蜜柑畑のおばあちゃんに会いに行く途中、原付二輪
でこの道を走ったそうです。
少ししゃれた道、桜並木、線路に、べた波の湾。グレー、ピンク、茶色、青。
不思議な色合いの中に思い出したことがありました。
「東京の桜って色が白いんだよねー」。
明治通りを走っていたら福山さんがこんなことを言っていて不思議に思った
ことがあります。でもそれは、この不思議な色合いの風景、色褪せた風景の
中にある自然の淡い桜のピンク。この印象が、福山さんには色濃く残ってい
たためではないか・・・。そんな風に思えました。 |
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蜜柑畑のおばあちゃんの所
に着きました。ガラガラと玄
関の引き戸を開け、昨日の今
日のように普通に叫ぶ福山さ
ん。「ばあちゃーん。おらん
さね?」
すると、とことこ奥から出
てくるおばあちゃん。背筋が
シャンとしていましたね。
田んぼと違い、上を向いて作
業をするみかん畑の手入れを
しているので背が曲がらない
とのこと。 |
福山さんも小さいころは、よく友達と手伝いにきたそうです。
奥に上がり座敷に腰をかけると早速二階に向かって人を呼ぶ福山さん。降り
てくる子達に和やかに話すその姿はいい兄貴でした。
と、外を見ると鎌を持ち、裏の畑で丁寧に一本一本アスパラを摘んでいるお
ばあちゃんがいました。僕には不思議な光景に見えました。久しぶりに帰って
きた我が孫に何か振舞う為にちょっと外に出て丹念に育てた野菜を摘む。
それは贅沢なことです。
摘みたての新鮮な野菜を腕に福山邸に向かいました。このお家から見るそ
の丘は、まさに今満開の桜が咲き乱れていました。
そんな風景を眺めながら物思いにふけっていると気づけばもう夜。続々と福
山さんの旧知の親友たちが集うそこは宴になっていました。つまみは・・・。
自分の近況報告に始まり奥さんの話、子供の話、昔やんちゃだった頃の話、
バンドをしていたころの話。尽きない夜でした。
そういえばそんな中、お母さん勝子さんに作って頂いたソウルフードの数々
は本当においしかったです。「おばあちゃんが育てた野菜を、お母さんが調理
して、息子の自分が食す。最高の贅沢でしょー・・・」、福山さんも食べなが
らぽつりと。 |
どんなに飲んでも朝一から動く福山さんにいくぶんの疑問を朝食を取り出発
です。
そういえば・・・、桜が咲くころに長崎の地を踏んでいるのは偶然ではあり
ません。長崎にて花見をしようと考え、場所を探し探して、この日は松島と
いう島に行きました。
この島は、実は前に福山さんが就職をして初めての点検にきた火力発電所が
あります。島の周囲が20キロほど、島にはその外周を走る眺めのよい道路。
10年ぶりに訪れたそこに福山さんは何を見たのでしょうか?
かつて黒いダイヤといわれた炭坑が小さな島で大きななりわいになっている
この島で、フェリーに乗り、また久しぶりに訪れたここで満開の桜を見ている
福山さん。ついてすぐ車でぐるっとひと回りしました。いろいろなことが変わ
っていたと思います。
「赤い砂の浜」、「日本一小さな公園」、そして島の中央にある小高い丘に
向かって伸びる一本の穏やかな坂に街路樹としてひっそりと咲く桜並木。
綺麗でした。
満開の桜が折りに吹く風で花を散らし桃色の空気をたなびかせていました。 |
一通り回って満足したところで、今
度は飯です。と思いきや、この島に
は昼間あいている飯屋がなし!
でもそれとは関係もなくお腹がすき
ます。農協に行きカップラーメンを。
ここでも、ソールフードに触れまし
た。福山さんに教えていただいたサ
ンポーの焼き豚ラーメン。九州地方
にしかないんですがこれがうまいん
です!
食事を終え港の海を見ていると、モ
ンゴウイカが泳いでいました。
福山さんにも知らせると、そばにあ
った長い竹の先で必死に突いている
福山さんが・・・。 |

「日本一小さな公園」から角力灘を眺める |
何をしているのかわからなく聞いてみると、「食うんだよ!」。半ば何か
に取り付かれたようにモンゴウイカを突く福山さんに僕は思いました。あ〜
福山さんは狩人なんだと・・・。生半可な都会で育った僕は、港に泳ぐイカ
は何の変哲もないイカなのです。
そんな僕とは違い福山さんにとっては、海にいるイカ、いや、すべての目
に入るものは食物なのです。
そーいえばまたも思い出しました。水泳を福山さんにレクチャーしていた
頃、執拗に片手で泳いでいたことを・・・。いろいろな福山さんの話をつな
げ、つなげて考えていくと片手にはいつも銛を持っていたんですね・・・。
わかりました。
そんなことも考えつつも、気がつくと空は夕焼けになり、福山さんのお宅
に向かう途中、日立造船の工場のとても大きなクレーンが立ち並ぶその脇に、
ひっそりとある港。そこにもルーツを垣間見ることが出来ました。
「海にいこう・・・」。よく言ったね、ここに来るために・・・。
周りは湾を覆うように白い町の明かりや停泊しているエリザベス号の光。
綺麗な夜景が広がっていました。その中で、その灯りを嫌うかのように暗い
場所・・・。そんな場所で福山雅治の青年期は過ごされたのです。
家に帰ると、また宴。そんな生活が長崎の思い出でした。
チャンポン、茶碗蒸、皿うどん、イモ焼酎。本当に美味しくて、体がひと
まわり大きくなって東京に戻りました。
観光もしました。というか、社会科見学のような感じでしたがオランダ坂、
グラバー園、出島、平和記念公園、平和記念像、二十六聖人、ディープなと
ころから、わかりやすいところまでいろいろな長崎が見えました。そして同
じだけ、ルーツを見ることができました。
【福山雅治のボンボンマネージャー山田(本名:北村)さんの密着人生日記】 |