観泉寺と今川家&ゼロ戦


杉並区今川の地名は、今川焼の発祥の
地のように思えますが、今川義元の子孫
により今川家の菩提寺となった観泉寺(
今川2丁目)があることから、住居表示町
名になりました。


戦国の武将今川義元は、桶狭間合戦で織田信長に討たれたのは、ご存知のとおりです。
観泉寺山門(寛政2年/1790年以前の建造物)
曹洞宗宝珠山 観泉寺は、慶長2年(1597
年)に観音寺として開山しました。正保2年(1645年)に今川義元の曾孫、今川範英が観泉寺と改称し、今川家の菩提寺としました。慶安2年(1649年)に将軍家光公より、寺領十石の朱印状が下付されました。本堂前にある宝塔は、文化2年(1805年)に建立されたもので、法華経八巻の経文が一石一字に書き写された経石が納められています。


牡丹の花も咲き誇る 今川家最後の領主範叙(のりのぶ)は、妻を肥前(長崎)平戸藩主松浦氏から娶り、将軍慶喜公の助命運動などに活躍しました。また、元禄6年銘の七観音と六地蔵が安置されており、今川家累代の墓は、東京都旧史蹟となっています。
本堂前の枝垂桜(写真右端)は、善福寺公園と共に桜の名所です。

<参考文献:杉並風土記>


ニッサンプリンスロイヤル誕生地

《戦闘機零戦のエンジン開発跡地》
大正14年11月、中島飛行機製作所東京工場が建設されました。(桃井3丁目)
飛行機のエンジンの開発と製造が主力で、純国産の複列星型1250馬力、重量630キロの軽量高馬力エンジンは、海軍のゼロ戦や陸軍の隼戦闘機の心臓部になりました。最近では、日産自動車荻窪事業所として国産宇宙ロケット開発研究所でしたが、再開発事業で都市防災公園と再開発ビルに生まれ変わります。
再開発事業の進捗状況 =荻窪病院屋上から撮影=
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